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◆河童倶楽部通信 5  「年賀状の制作について」
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 いよいよ今年も残り50日あまり。年賀状が発売されたり、クリスマス
の案内が届いたりするのを見ると、一年の締めくくりの季節を実感します。

 先回の河童倶楽部通信3において、年賀状も自分をアピールする晴れ
舞台だというコメントを書きました。私が敬愛する作家の池波正太郎氏は
信州は上田市にある氏の記念館に、賀状に関するコーナーがあり、そこで
「年賀状は、ほかで会うこともない、年に一度だけの挨拶の場でもある。
 だから、その150平方センチの一枚の紙で、自分の近況を表現するんだ。
 年末になって慌ただしく作るんじゃなくて、お正月に年賀状をもらい、
 その時から、もう翌年の賀状制作に取り掛かるようにしていた...。」
とのコメントがあり、私もいたく共感を覚えたものです。

 ところで私こと、今年2月に祖母が永眠いたしましたので、残念ながら
2000年の年賀状制作は差し控えております。これをお読みの皆さまには、
Eメール上にてのご挨拶となりますことをご容赦願います。

 
┏■このはしのはしは怖くて歩けなかっぱです(静岡県島田市蓬莱橋)┓
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『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』と江戸時代の旅人達
の定説だった大井川に、いまも現存する木造の橋の写真を添付しました。
 もっとも橋ができたのは明治時代になって『大井川川越禁止令』が解除
されてからのことですが。それまでは東海道五十三次の島田宿と金谷宿の
間を流れる大井川の増水で、旅人は1〜2週間も足止めされ、それにより
町はおおいに繁盛したとのこと。今も旧街道筋には当時の面影を残す社や
川越人足の集会所が残り、島田市立博物館でも様子が紹介がされています。

 さて話を写真の橋に戻しましょう。この「蓬莱橋」は明治11年にできた
全長900m、幅2.5mの有料の木造人道橋。現在の通行料は大人20円です。
昭和40年に架け替えがあり、橋脚はコンクリート杭が使用されていますが、
それ以外はすべて木造です。ところどころが朽ちて穴が空き、そこを番線
で縛って補修したりした状況ですが、歩くとぎぃーぎぃーと軋んだ音が
します。自転車や原付バイクがやってくると、ガタガタガタとすごい音が
して、かなり揺れたりもします。現在の道路構造令だと人が歩くところの
高欄(手すり)の高さは110cmという基準になっておりますが、ご覧の
とおり40cmほどしかなく、水面まで7〜8mほどもあるため、足がすくんで
河童さんは橋の端では立てないよ〜といった状態でした。 

 11月18日は『土木の日』というのをご存じでしょうか?
紙に縦に「十一」と書くと「土」と読めますね。「十八」は「木」です。
なかなか洒落た銘名で気に入っているのですが、今の時代の土木構造物を
見回すと、どちらかというと鉄とコンクリートばかりで、土や木があまり
使われていませんよね。そんななかで、この蓬莱橋は木材を使っていて、
これだけ広い川を渡ることができる。日本人にとって財産だなと思います。

 河川は風の通り道。朝は太陽熱を受けて陸地の気温が上昇すると海から
すーっと風がながれてくるし、夜になれば逆に風は川に沿って海に吹く。
駅前で「ジベタリアン」(注:地べたに腰を下ろす若者達を言うらしい)
になるのは抵抗があるけれど、夏の夕暮れ時のひとときにここを散歩して、
静かに腰を下ろして風に吹かれるなぁ〜んてことができたら、なんて贅沢
なのでしょうか。毎日会社帰りにこの橋の真ん中で短編小説を読む。そこ
に毎日犬をつれて散歩にくるお嬢さんがきて、いつしかお友達になる。
なぁ〜んてシチュエーションが待っていたりなんかして...。
豊かな都市景観は、道を出会いの場にしてくれるというのが私の持論です。

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