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◆河童倶楽部通信 2
1  住民参加の街づくりについて  
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 こんばんわ。この3連休、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私達は昨日、静岡県の掛川へ出掛けてきました。真冬の寒さもやわらぎ、
ぽっかぽかの陽気と澄み渡った青空の下、梅の花も咲き始めていました。
掛川城 天守閣  
 上の写真は、平成6年に純木造で再建された掛川城です。戦国時代末期
山内一豊が城主となったお城で、小高い山の上に立つ天守閣は、景観的
に美しい表情を持つ掛川市のランドマークとして、最近定着しています。
 山内一豊は、尾張(愛知県)に生まれ、もともと織田信長の家来だった武将で、
妻のへそくりで天下の名馬を購入し、信長に誉められて出世の糸口をつかんだ
という『内助の功』をたたえる逸話が有名です。
 
 掛川市は人口8万人弱のそれほど大きな街ではないが、街づくりの積極性では
群を抜いて注目を集めるものがあります。 掛川市の最近の足取りは次の通り。

 ■1979. 4. 1 「生涯学習都市」宣言
 ■1988. 3.13 「東海道新幹線掛川駅」開業
 ■1993.12.21 「東名掛川インターチェンジ」供用開始
 ■1994. 4. 3 「掛川城天守閣」完成
 ■1996. 5.27 「市役所新庁舎」業務開始

 静岡県は東西に長く、東部は富士・伊豆の観光地、西部は産業というイメージが
あることと思う。県庁所在地の静岡市&清水市が県の中枢的な位置にあり、東に
沼津市&三島市、西に浜松市が代表格で、それ以外には旧東海道の宿場町から
成長した街が、東海道本線の駅に貼り付く形でつながっている程度の印象だろう。
 新幹線で静岡から浜松まで77キロ。時間にすれば20分弱で通り過ぎる場所で、
トンネルの切れ間から見える車窓の風景から、緑のお茶畑の間に銀色の美術館
(資生堂アートハウス)や大きな工場が、ちらっと見えるだけだった。そんな何もな
い小さな街に、新幹線の駅を作り、高速道路にインターチェンジを作ろうと呼びか
けた人がいた。昭和52年(1977年)に就任した榛村純一市長である。
 榛村市町は、すごくパワーに溢れた人で、住民との積極的な話し合いを大切に
したらしい。1年間に市民対話集会200回も実施したりする中で、街づくりの方針
を定め、全国に先駆けて「生涯学習都市宣言」を行うなど、人を育てることから、
住民の理解と強調意識を高める施策をとったようだ。
 
 新幹線の新駅を建設するために住民から寄附を集めることにした。市職員にも
役職別に、助役が80万円、部長が50万円、課長が・・というように、職員自らが寄
附を実践し、住民に呼びかけた。結果として住民や企業からの賛同が寄せられ、
総額30億円の寄附金が新幹線駅建設の総工費135億円の一部に使われた。
また掛川インターでも、総工費44億円のうち11億円の寄附金を集めたとのこと。
 
 新幹線の停まる掛川駅は、バス乗り場を見てもほとんどバスや人影が少なく
閑散とした空間だったが、緑が多くてとてつもなく広かった。市の説明によれば、
東京〜大阪までに16ある新幹線の駅の中で、東京・名古屋・京都・大阪に次ぐ
広さ(駅前広場の面積7,800u)だという。筆者の自宅近くにも、「三河安城駅」が
あり、だんだんと駅周辺の整備が充実してきたが、掛川の方が特色ある整備を
目指しているといった印象だった。
美術館を思わせるモダンな掛川市役所 新庁舎 
★まるで美術館ような外観を持つ掛川市役所:生涯学習の総本山として位置づけられている。
 
┏■掛川城に個人で5億円を寄附した御婦人 ━━━━━━━━━━━┓
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 そうした住民参加のムードの中で、掛川にも観光客を呼ぶ寄せられるような
街づくりをしようとの声が高まった。そこで生まれた計画が、城下町掛川に天守
閣を再建しようという夢だった。それもどこにでもある外観だけの城ではなくて、
木造で、それも秋田ヒバという高級用材を用いた本格的な造りにしようと、5億
を寄附してくれたご婦人の話を、受付の職員の方から伺った。
 
 その御婦人は、もともと東京の人でご主人に先立たれて掛川市に移り住んで
来られた人だった。御主人が事業に成功して財産のある人だったが、子供が
いなかったため、遺産を掛川の人に喜んでもらえるようにと寄附を申し出られた
とのこと。この御婦人は「生涯学習都市宣言」など市政に賛同されていて、榛村
市長との交際もあったらしい。はじめは掛川城再建の予算は6億円の予定だっ
ようだ。それまで他の48市町村で再建された城郭と同様に、鉄筋コンクリート
を予定していたと思われるが、それに5億円を加えることができたおかげで、
日本中でどこを探してもないような、これほど立派な木造のお城が再現できた。
最終的に、他の市民らも積極的に寄附に応じたので、さらに5億円が集まった。
掛川城は市民の誇りでもあり、そのご婦人に市民は感謝しているそうである。
 
 いま愛知県は2005年の万国博覧会開催で揺れている。
表面上は自然破壊が問題となっているが、それだけでなく財政的な破綻の
局面の中で万博会場周辺の交通網の整備などの予算確保にも苦慮している。
 筆者も県職員として万博を推進に協力する立場にあるはずの一人だが、
もしもここで「万博開催のための寄附金」を求められたらどうだろうか?
ノルマが課せられたら立場上やむを得ず協力するだろうが、掛川市民のよ
うに積極的に出資する気持ちになれるかどうか、極めて疑問である。
 掛川の人は、始めに住民参加の対話集会があって、いま街に何が必要な
のかを充分に意見を出し合っている。そこから生まれたのが、駅であり、
インターであり、そして天守閣だった。自分たちの夢を実現するためだか
ら、みんなで考えて価値あるものだから、お金を出そうという協力につな
がっていった。しかし愛知万博や新国際空港建設は、県民の話し合いから
生まれた計画ではないことが、結果として事業進捗を難しくしているよ
に感じてならない
掛川城天守閣より見下ろす街並み 
 上の写真は、掛川城天守閣から見た街の風景の1コマである。市営の
場や大手門だけでなく、周辺の店舗も城下町風の建築が多いことに気づく。
 掛川市は天守閣を中心とした街の景観づくりについて、次のようなガイド
ラインを設けてデザイン統一に向けての規制や誘導(補助金の支援)を行って
いる。

1.掛川城へ通じる道路を城への登城口にイメージして天然の御影石貼りで舗装。
2.電柱類は地中化し、街路樹、ストリートファニチュアも城下町風に統一。
3.沿道の建物、店舗も城下町風の意匠に統一する。
 景観整備重点地区では地区計画制度(H6/7月 都市計画決定、6.9ha)を活用し、建築物は
(1)道路から1mセットバックさせる。
(2)屋根は日本瓦とする。 
(3)ファサード、色彩に関する統一する。
(4)看板、小物などについても制限を設ける。
  といった4つの基準を設けることで、街全体で歴史的な城下町の雰囲気を演出し、街に活気
と活力を呼び戻そうとしている。市はその計画の中で駐車場や観光物産センターはじめ城下町
の鍵曲がり道路等を整備し、個人が行う城下町風建築物の外観整備については最高100万円を
限度に補助金を交付する形で進めているとのこと。

 
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