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◆河童倶楽部通信 2
4 切妻造りの街並みと電線類地中化について
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〔河童通信20号〕で、オランダの建築様式について書きましたが、その時
紹介したK氏からのコメントに、次のような記述も含まれていました。

>「おかげ横丁」もそうだと思いますが、(丹波篠山も?)「切妻」なのです。

 先月ふらりと伊勢へ出掛けた目的は、赤福を食べることと、もう一つは
紹介のあった切妻建築の街並みを鑑賞することだったのです。下の写真は
市営駐車場から伊勢神宮(内宮)に至る800mの参宮街道(おはらい町通り)
で最初に目に飛び込んできたお気に入りの景観です。まさしく切妻建築で
壁の色合いや材質、窓の造りなどは、江戸時代からの年月の経過が感じら
れます。一番手前は郵便局で、その向こうに和菓子屋さんとか銀行などが
続いているのですが、店内を見ると明るく新しいつくりになっていました。
外見は古めかしいようでも、意外と平成時代の建築物なのかもしれません。
手前の街路灯とゴミ箱のデザインも、景観との調和が配慮されていました。

 筆者がこのようなエッセイを書きはじめて5ヶ月になりますが、景観に
対して段々と感じやすくなってきたのかもしれません。この街並みは確か
年前にも歩いたのに、そんなに印象深く残っていない。なのに今回この
景観を見て、あまりのインパクトの強さで、金縛りになったかのように、
動きが止まってしまい、気がつくと「うぉぉぉ〜、すげぇー...」
とつぶやきながら写真をパシパシと何十枚も撮り始めたのです。  
 
 次の写真は、兵庫県の城下町「丹波篠山」の、旧山陰道の雰囲気が残る
風景です。こちらは昔ながらの古い建物がいくつも残り、壁は白漆喰を用
た切妻屋根の建物が多く見られます。道路の舗装は、景観的に配慮した
自然石ブロックを敷き並べたものとなっていて、通りが狭く曲がっている
ことで、そこに入り込むと非日常的で閉ざされた空間を感じられました。
向かいのお店どうし声が届くし、人が歩くには程良い広さのようでした。
ただ一つ残念なのは、電柱と電線により空が狭くなり、折角の切妻造りの
街の景観が台無しになっていることでした。最近の建設省の重点施策に、
電線類の地中化というものがあります。これは、従来上空にあった電気や
電話、有線放送などのケーブルを地下に埋設することで、景観の向上と、
災害時の安全や通路を確保しようというものです。建設コストが高いので、
大都市の商店街を中心として施行されているのが実態です。二つの写真
較べることで、街の景観を向上させるために、電線類の地中化が必要で
とが一目瞭然と理解できるのではないかと思います。

 
┏■赤福本店と『おかげ横町』の街づくりについて ━━━━━━━━┓
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 インターネットは情報のるつぼ。キーワードで検索すれば、知りい情
報を次々に入手することができ、世の中の見えないところが見えてきます。
今回は、伊勢市の景観と街づくりについて、いろいろと調べてみました。
 
 伊勢神宮内宮は、江戸時代から参拝客が絶えることのない、日本を代表
する初詣の名所となっている。年間の参拝客が400万人を数えるいうから、
東京ディズニーランド(1500万人)と較べても、集客力は半端な数じゃない
と言える。しかし一昔前の伊勢神宮門前通り商店街は、たった10万人しか
人が訪れない衰退した通りであった。それが今や、200万人を越える人が
訪れるという活気あふれる商店街に生まれ変わることに成功したという。
観光客だけでなく、地元の人からも愛される通りとして蘇り、伊勢神宮を
参拝しない人もが、この商店街へ遊びに来るという盛況ぶりとなっていた。
 
 その商店街の名前は、通称「おはらい町通り」。伊勢市が猿田彦神社前
新しく整備した市営駐車場と伊勢神宮入口に架かる宇治橋との間を結ぶ、
約800mの通りをいうものだ。下の地図で説明すると、市営駐車場から県道
を地下道でくぐり、緑の線に沿って歩いていくと、ちょうど矢印の先っぽ
ぐらいから切妻造りの商店街が連続するようになる。中ほどの赤福本店の
ところで交わるのが「おかげ横町」。この辺りまで来ると、「原宿」とか
「とげぬき地蔵」を思わせる人混みとなってくる。
 こうした門前通りの賑わいを復興させたのは、伊勢市の積極的な行政と
もう一つ「赤福」の協力により実現したことがわかった。
 
 伊勢市は、平成元年に「まちなみ保全条例」を制定し、沿道店舗の建築
協定を設けたり、電線類の地中化と、石畳風の舗装に改修するなど景観の
保全整備事業を進めた。従来は国道23号線の終点である宇治橋前の駐車場
に観光客を誘導していたが、新しい駐車場をおはらい町通りの北に設けて
参拝客が商店街を歩いて通り抜けるように誘導した。しかしそれだけでは
800mもの遠距離を観光客が楽しく歩いてくれる筈がない。当時の町並みは、
鉄骨づくりのビルやシャッターを閉めた廃業店舗などが散見されたらしい。
そこで、市は建築様式を規制して、この地方独特の「伊勢造」と呼ばれる
切妻形式の伝統建築に街並みを統一していこうと動き出した。
 
 最初の頃は財政的支援がなく、なかなか思うようにいかなかったしい。
そこで地元優良企業の赤福が市へ5億円の寄附を申し出たとのこと。市は
それを基金として、条例に沿って建物の改築・新築を行う人に対し、無利
子に近い低金利の融資制度を作った。その後10年の間に、申込者も増え、
次々に店舗等の改築が行われて、町並みは見る見る整備され、そぞろ歩き
を楽しめる情緒ある街へと変貌を遂げてきたようだ。
 
 赤福は同時に、もう一つ別の独自の事業を進行させた。
本店前にあった鉄筋4階建ての本社ビルを取り壊して、その跡地と周辺の
土地を買収し、東西100m×南北130mの明治初期の下町の賑わいを演出する
『おかげ横丁』を平成5年に完成させた。31もの町屋づくりの建物が軒を
並べて、伊勢の良さと、"おかげさま"という思いを凝縮したテーマパーク
的な空間が演出されていた。
 
 ◆おかげ横町の公式ホームページ:http://www.okageyokocho.co.jp/
 
 赤福がおかげ横丁の事業に注ぎ込んだ経費は総額100億円以上という。
一皿230円という赤福餅に見た、献身的な営業姿勢に好感を抱いたお店
だったが、調べてみると地域発展にも貢献しているという、偉大なる業績
をも見つけることができた。江戸時代の伊勢参りブームを支えてきた老舗
として、往時よりお金がない人にも食事や風呂を提供してきたという精神
が、今も毎月決まった日に朝粥を提供するなどといった、奉仕活動や企画
の端々に受け継がれているように感じられる。赤福という企業のおかげで、
「おかげ横町」はもちろん、伊勢市が推進してきた「おはらい町通り」も、
以前の活気を取り戻すことに成功したように見受けられる。商業地として
の価値も上がり、廃業していた商店も心機一転して店を開け、熱心に商売
に取り組んでいるとのことだ。この地域一帯が、全国で同じような悩みを
抱える中心市街地や門前通り商店街活性化事業の手本として注目を浴びる
ようになっている。

 
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