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◆河童倶楽部通信 2
5 河童の人事異動
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 2週間ぶりの執筆となりました。先週のウィークエンドは取材のため、
ムーンライト夜行+1泊2日で千葉県を視察してきました。
・伊能忠敬の故郷として有名な「佐原市」の景観整備
・千葉市の新交通システム「モノレール」
・「成田山門前通り」の商店街活性化の取り組み状況
・隅田川河口部周辺の超高層建築物群の景観
などが今回のテーマでしたが、2日間の充実度した成果は700枚の写真に
ギッシリと詰まっておりますので、これから折々紹介してまいります。
 
 公務員の世界では3月中旬のこの時期、「人事異動」の内示があります。
私こと昭和63年に就職して以来、ちょうど12年間を、お役所勤めに励んで
きたわけですが、豊橋へ通勤をはじめて3年めともなると、忙しくとも、
いろいろ余裕が持てる時期でもありました。そこで最初に取り組んだの
「職場内ベンチャービジネス」と私は呼んでいますが、パソコンの技術を
駆使して庁内LANの接続とソフトウェアの開発を推進したりしました。
しかし環境整備はある程度の水準まで整えたのに、旧態依然としたお役所
それを浸透させるというのには、様々な壁が立ちふさがったのでした。
みんなで活用することで合理化を推進するをいう目標に対しては、残念な
がら挫折を感ぜずにはいられませんでした。これがちょうど一年前のこと。
 
 そこで次に私のアイデンティティの対象として、吟味して実践を始めた
のが「河童倶楽部通信」というわけです。職員に「自立型」と「依存型」
との2種類のタイプがいるとするならば、公務員像としては「依存型」が
典型的でふさわしいとされる社会ではないだろうか。ところが私の場合は、
むしろ「自立型」で一人歩きするタイプの人間であるため、私の価値観を
売り込む場所を職場だけに限定する必要はないことに気づいたのでした。
アイデンティティの「軸足」を職場の外に置くために、インターネットは
そうした私にピッタリの新しいツールとして順調に定着してきたようです。
 
 ところが、そうした順風満帆のライフワークを謳歌している毎日にも、
新たなる危機がやってきました。職場でいきなり課長に呼び出されると、
「君は来月から、半田支店の係長に昇格です。」という、衝撃の通告!
今まで遠距離通勤ゆえに毎週3冊の読書ができたし、デスク周辺の環境も
整ってきたため、あとはひたすら課題解決のために燃えていたのに。うぅ。
 
「大人になりたくない症候群」とか「卒業したくないシンドローム」など
いう言葉があるように、初めての昇格は「不安」や「恐怖」を感じます。
一人の担当者としてマイペースで課題に取り組んでいた今までを思うと、
これからは自分に求められる事、あるいは責任の度合いが全然違うのです。
 
 今日、うちの奥さんを「知多半島へドライブに行こう!」と連れ出して
新しい事務所を覗きに行きました。ちょうど前任者の方が休日出勤されて
いたので、新しい仕事の内容についてあれこれと教えていただきました。
現場の一覧表と地図を手に入れたので、未知の土地をぐるりと一回りして
きましたが、中部新空港建設予定地にも近いだけあって、愛知県が財政難
で事業縮小傾向にある事を知らないかのように、あちこち至る所で道路の
建設が進行しているのを目の当たりにしてきました。こうなったらもう、
あとは開き直るしかありません。誰かから私に対する期待があって選ば
た席に座るのだから、覚悟をもって一つずつ対応していくしかありません。
しばらくは新しい仕事や現場を覚え、一日でも早く新しい環境に適応して
いくことを最優先させていきます。そのため河童倶楽部通信の執筆活動
大幅にペースダウンするかもしれませんが、末永く見守っていて下さいね。
 
 
┏■跳ね橋コレクション(船から車への世代交代を考える) ━━━━━┓
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〔河童通信016〕にて、神戸の跳ね橋の夜景を紹介しましたが、それ以来
長い間みなさんお待たせしました。今回は「跳ね橋」についての特集です。
 
滋賀県 新旭風車村の跳ね橋
 最初の写真は、滋賀県の新旭風車村の跳ね橋ですが、ハウステンボスにも
同じタイプの実際に動く跳ね橋がたくさんありました。
 
 跳ね橋は、いったい何のために開くのかという疑問があろうかと思います。
およそ百年ほど前、日本にも産業革命の波が起こり、蒸気機関という動力が
使われるようになりました。それにより船や汽車、自動車などで物資を運
ことができるようになりましたが、これらが登場する前は、風の力や人力で
お米とか木材を運んでいたのです。陸上では人が背負ったり、大八車を引い
たりしたと思いますが、今のように道路が舗装されていなかったため、
な苦労があったようです。それを思うと水の上に船を浮かべる方が、ずっと
楽だったため、オランダや江戸などでは、都市の中に運河を網の目のように
巡らせたものと思われます。しかし、川や運河が道と交差するところに橋を
架けると船が通れなくなってしまうし、真ん中が盛り上がった「たいこ橋」
にすると、坂が急で荷車が押せなくなってしまいます。そこで登場したのが、
船が通るときだけ橋を持ち上げる「跳ね橋」だったのです。
 
北九州市門司港 ブルーウイングもじ
 
上の写真は、北九州市門司港に平成5年に架けられた「ブル−ウイングもじ」
という、実際に動く人道橋の跳ね橋です。全長約100mあり、船が通る時は
約24mの親橋と約14mの子橋が水面と60度の角度に跳ね上がります。
 
隅田川 勝鬨橋(聖路加タワー展望台より撮影)
 
 上の写真は、東京 隅田川の一番下流にある「勝鬨(かちどき)橋」です。
これも跳ね橋で、橋長246m、幅員25mの内、中央部80mが上方へ70度跳ね上
がるとのこと。昭和15年の完成以来、1日5回20分ずつ開いていたらしいが、
昭和45年以降は、交通量(27,000台/日)が増えすぎたため、開かずの橋に
なってしまったようだ。車が増える前までは30年間に13,000回以上も開閉
していたという。中央をくぐり抜けた船は、隅田川名物の水上バスですが、
橋が開かなくても くぐれるよう、薄っぺらいデザインとなっていました。
中央部は塗装工事中のため緑色のシートに覆われているのが残念でしたが、
全体が銀色系で塗装されていて、歩道の外側など至る所に石が使われてお
り、60年も前の橋とは思えないようなきれいで贅沢な構造物でした。
もいろいろ独特なデザイン装飾が取りつけられていて、歩道と車道と
にある高欄には、跳ね橋が開いて船が通るまでの過程をあらわす4枚の
レリーフパネルが取りつけられていました。実際には十数mの間隔で点在
するものですが、一同に並べてお見せします。
 
勝鬨橋_レリーフ1勝鬨橋_レリーフ2勝鬨橋_レリーフ3勝鬨橋_レリーフ4
 
 東京には景観の為に熱心な人達が大勢みえるようで、この勝鬨橋を再び
開けようとする市民グループもあるようです。「みんなのチエを集めて
勝鬨橋をあげる会」というのが会の名称で、平成元年に発足されている。
一口1000円の募金を集めて東京都と交渉していたらしいが、果たして、
今の時代に景観とか夢のため、これだけの交通量を遮断することができる
のであろうか。なかなか現実は厳しいもののように思えるのですが...。 
 
勝鬨橋_シグナル
 可動部には、昔ながらの信号機も取りつけられていました。

 
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