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◆河童倶楽部通信 27  男女共同参画社会について(その1)
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 河童係長が生息する公務員の世界、「昇格」という制度上、ある意味では
公平性が保たれているように思われる。採用試験という最初の難関をくぐり
抜けさえすれば、職員誰もが一定の年齢に達すれば係長になっているようだ。
職種や配属、あるいは仕事に対する取り組み方により、採用後十数年の間、
ほとんど毎日定時に帰宅できる職員もいれば、残業続きで「滅私奉公」同然の
十数年を過ごしてきた職員もいる。しかし前者も後者も、同じ年齢になれば
一様に昇格するというのが、公務員の世界なのである。
 RPGゲームの場合、登場キャラクターがモンスターと闘い『経験値』を
積むことでレベルが上がっていく。雑魚と闘うよりも手強い敵と闘う方が、
リスクは大きいが、たくさんの経験値が得られ、レベルアップも早くなる。
残業時間の多い少ないが職務に対する貢献度に比例しているとは限らないが、
公務員の世界には、一般企業のように仕事の業績を昇格に反映させるという
システムが確立されていないようである。

 あと一つ筆者が感じる傾向として、これは日本の社会制度全般に見られる
問題かもしれないが、職場における女性の立場が、男性と同様に評価されて
いないということ。特に男性職員の比率が多い職場の中では、同じ職種で勤
めていても、本人の能力や仕事に対する姿勢とは関係なく、周囲からの期待
が薄かったり、雑用ばかり依頼されたりしているケースが多いというものだ。
「男性職員同様に期待されていない」ということは、責任もなくストレスも
ないということで、一昔前の女性職員にとっては、むしろ喜ばしいことだと
考えられていたようだ。(いや今でも、そうゆう考えのギャルが多いかも?)
 しかし最近の10〜20年という短い間に、女性の価値観がガラリと変わって
いるようだ。私が小学生だった頃「大きくなったら何になりたいか」という
質問に対して、社会通念上は「お嫁さんになる」という答えが順当なものと
して期待されていたように感じられる。あるいは、看護婦さん、保母さん、
スチュワーデス・・・といった女性特有な職業しか出てこなかったように思う。
ところが最近は、有名大学のあらゆる分野にも女子学生の数が増えたと聞く。
筆者の母校(豊田高専)を訪れても、当時はほとんど男子校同然のキャンパス
だったのに、今や完全な共学校として変貌を遂げていた。就職先についても
ややもすると男子学生を凌ぐ大企業に採用されていくという実状らしい。

 日本が、昭和時代の後半35年間で、GNPが15倍という驚異的な高度
経済成長を遂げたのは、『男は仕事、女は家庭』という合理的な役割分担が
それを支えてきたという指摘がある。しかしそうした江戸時代までの古典的
性別役割分業論は、第3次産業中心の国際社会の中では通用しなくなった。
女性には『受精』『妊娠』『出産』『直接哺乳』という男性が経験できない
固有の機能があるけれど、そのことで社会的に差別を受けるべきではない。
といった新しい考え方、それが「ジェンダー」と呼ばれ、議論されている。

 新任主査級研修の受講生名簿には、たくさんの女性の名前が載っていた。
事実、今まで男ばかりの職場であった土木事務所でも、今回の人事異動で、
女性の係長が数多く登用されている。『男女共同参画社会基本法』という
法律が平成11年に制定され、公務員の社会も少しずつ変わろうとしている。
日本という国でも、女性の役割や生き方が確実に変わってきている。しかし
「差別をなくす」ことは「優遇する」ことではないことをわきまえてほしい。
あくまでも職場における評価は、仕事に対する姿勢や能力や貢献度で決まる
べきものだから。仕事に意欲を持たない人をも、どんどん役職者として登用
するようになったら、組織が大変だゾ。冒頭で年功序列的な昇格制度の現状
について述べてきたけれど、男女共同参画社会を実現する上では、職員一人
ひとりの実力を正しく評価するシステムの確立することが重要課題となって
くるのではないだろうか。             (つづく)

 

┏■男坂、もっともっと長くて険しい階段 ━━━━━━━━━━━━┓
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 河童倶楽部通信の第10号にて、鎌倉の苔むした階段について紹介しましたが、
先日訪れた身延山には、もっとすごい階段があったので紹介します。

 身延山の山門をくぐると、いきなり上の写真ような光景に遭遇します。
平坦な参道の正面に、いきなり梯子のような階段が立ちはばかっていたのです。
樹齢数百年の杉木立のすき間を、天に向かって一直線に伸びているのです。
上の方はもやがかかって、いったいどこまで続いているのか見当も付かない
状態で、参拝者に課せられた最後の難関の名称は『菩提梯(ぼだいてい)』、
「一段登るごとに悟りの境地に近づくことができる」と解説されていた。
横手に「女坂」というゆるい坂道が作られているからいいようなものだけど、
「わたしゃぁ、悟りなんて要らないから、エレベータでも造っておくれよ」
といいたくなるぐらい、凄まじい圧迫感を持って登山者を迎えているのです。

 
仏教の言葉に『登龍門』という言葉を思い出しました。
【登龍門】「龍門」は中国の黄河上流の急流。そこに集まる多くの鯉のうち、もし登る
ものがあれば竜に化するとの言い伝えがあり、元来は出世の糸口をつかむという意味。
立身出世につながるむずかしい関門。また、運命をきめるような大切な試験のたとえ。
坂を登るというよりも断崖に挑むといった心境になるこの菩提梯は、全部で
287段、途中の踊り場を挟んで南無妙法蓮華経の7つの部分からできていた。
寛永9年(1632年)9月に造営されたと書いてあったけど、当時の身延山は、
観光地ではなくて修行の場所だったのだから、仕方ないんだけどね。
※階段についての解説:
 水平部分を【踏面(ふみづら)】、
鉛直部分を【蹴上げ(けあげ)】と
呼んでいる。日本家屋の階段では、
蹴上げが7寸(21cm)、踏面が8寸
(24cm)で作られる場合ところが多
い。最近の公共施設の場合では、
踏面が30cm、踏面が20cm以下と
なっている場合が多い。
 菩提梯の場合、踏面が25〜30cm
に対し蹴上げが25cmもあったため、
足が短い河童さんは相当難儀した。

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