【佐原市:小野川周辺の町並み】


▲伊能忠敬銅像

▲伊能忠敬肖像
 五十歳を過ぎて隠居した後で測量学を学び、
55歳から17年をかけて日本全国を歩いて、
正確な日本全図を作り上げた。

※伊能記念館のHPに詳しい生い立ちがあります。

伊能忠敬生家(左)と忠敬橋親柱の装飾(右)

▲中村屋乾物店(文庫蔵)

▲三菱館(旧三菱銀行)

▲中村屋商店

▲福新呉服店 

▲小堀屋本店(蕎麦)

▲植田屋荒物店

▲正文堂書店全景(左)と軒上の看板(右)

▲『正上(醤油醸造)』 江戸時代の船着き場の面影がさりげなく演出されていた。



▲伊能忠敬記念館と伊能忠敬生家

【読者からの質問コーナー】
 T.Tさんより、佐原について問い合わせがありました。
伊能忠敬記念館の展示で理解した知識や、井上ひさし氏が伊能忠敬の生涯を描いた小説
「四千万歩の男」を読んで考えたことなどに基づいて、私の知る範囲のことをお答えします。

先日、テレビで佐原市のことが放映されました
古い建物が沢山あり、いい町ですね。行きたくなりました
どうして佐原市は古い建物が沢山あるのでしょうか?

 佐原市は、江戸・明治時代の伝統的な商業都市の景観を残すまちとして、関東地方では
川越市とともに重要伝統的建造物群保存地区に指定された景観的に興味深い商都です。
 江戸時代の物流手段といえば、「船」による輸送が中心の時代であった。外洋を千石船と
呼ばれる大きな船が往来し、船主達は莫大な財を築いていたことを北陸を旅すると、各地で
学ぶことができる。佐原は東関東の農村地帯の中心地に位置し、利根川を遡って関宿から
江戸川を下るという舟運ルートが、今日でいえば高速道路のような物流路線を成していた。
利根川を往来していた「高瀬舟」は、船員5人程度で馬600頭分の荷物を運んでいたという。
下の地図にあるように、佐原周辺には霞ヶ浦などの大小の湖が点在し、周辺のあらゆる舟と
陸路が佐原に集中し、物流ターミナル的な位置付けとして街が栄えていたようだ。
北海道や関西・北陸などからの物資も直接佐原まで持ち込むことができただけでなく、
周辺の農作物は佐原を通って江戸に運ばれ、江戸からは農村に供給する日用雑貨などが
佐原の商人を通じて流通していたようだ。あるいは豊富な材料と豊かな水を使った酒、味噌、
醤油などの醸造業の生産が盛んになった。そうした街の歴史を考えながら、佐原の中央を
流れる小野川沿いの古い商家、船着き場の面影などを眺めると、街の散策が一段と楽しく
興味深いものになるのではないだろうか。
 関東では、川越市と栃木市を歩くと、佐原といろんな対比ができて面白いですよ。


 ■H14.11.5追記
掲示板にヤマボウシさんより次のような書き込みがありました。
> 佐原市の写真拝見しました。小野川河畔の雰囲気が大変いいですね。
> 江戸時代にタイムスリップしたようです。
> テレビでは小堀家の蕎麦を紹介していました。珍しい黒そばで美味しそうでした。

小堀屋本店で食べた黒切蕎麦の写真を追加掲載します。
独特の黒くてツルツルした色合いは、“昆布”の色だということです。


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